京都守護職・松平容保、責任感の強さが招いた会津の悲劇!?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第49回 ~松平容保~
「死(し)」:運勢エネルギー2
霊感が強くスピリチュアルな星。直感が鋭く、神道を大切にする。ゼロから何かを作り出すことが得意で、現世よりも死後の世界に興味を持っている。
容保は晩年、神道関連の仕事に就いている。1880(明治13)年、容保は日光東照宮の宮司に任命された。同年、上野東照宮、土津神社の宮司の兼務する。徳川家康を祭る日光東照宮、そして保科正之を祭る土津神社の宮司を務めるのは、容保にとって感無量なことだったろう。スピリチュアルな容保にとって、ぴったりな仕事である。
「墓(ぼ)」:運勢エネルギー5
仏教にご縁がある。ご先祖とのご縁が深いため先祖供養の役目を持ち、墓参りを熱心に行って開運する。保守的で凝り性、探求心が強い。
ご先祖とのご縁の深さは、先に述べたように宮司の仕事から明らかだが、仏教とも強いかかわりがあった。容保は戊辰戦争で亡くなった人たちの慰霊も積極的に行い、会津での慰霊祭に参加するだけでなく、新潟、白河などに建設された慰霊碑などへ揮毫(きごう)している。
「沐浴(もくよく)」:運勢エネルギー7
ロマンチストで、芸術や芸能の才能を持つ。また、自由な生活を好み、外国にご縁があるだけでなく、浮気性でもある。何をしでかすかわからない面白い星。
容保を四柱推命鑑定してきたが、命式表から、その頑なまでの真面目さと責任感の強さが伝わってきた。激動の時代、そして騙し騙されての駆け引きの場には、適応できなかったのだろうか。歴史に「たられば」は禁物だが、もし仮に容保が、安定した江戸中期の藩主だったなら、思い通りに事を進められただろう。しかし、それもまた運命…。といわんばかりに、十二運星の「死」「墓」からは、第六感、スピリチュアル的な部分も見いだせた。つまり、幕末にいて、容保はあえてその渦に巻き込まれていったかのようにも読み解ける。世界史や日本史を見ても、強いエネルギーはため込んでもなくなることはない。どこかで発散される必要がある。それが、この幕末、そして会津だったのかもしれない。そう考えると、やはり容保は縁の下の力持ち的な存在だろう。今は、まず容保が安らかに眠ってくれることをひたすらに願うばかりである。
【参考文献】
「幕末会津藩主・松平容保」帯金充利 叢文社 (2006)